コラム(2)リカバリーが大事にしていること

NPO 法人リカバリーは、女性たちの生活をトータルで支えるため、住居、就労、相談支援を行っています。

全国津々浦々、家族や支援者からの相談で最も多いのが、『リカバリーハウス』への入所についてです。リカバリーハウスは、一軒家タイプのグループホームです。例えば、刑事施設から地元に帰るとクスリを使っていた時のコミュニティに容易に繋がってしまうため環境をガラリと変えた方が良いと(特に周りが)思っているケース、被害を受けていた相手から離れたいケースなどが多いですが、中には全国の回復支援施設を渡り歩き、最後の砦として繋がってくるケースもいます。

そして、リカバリーハウスに入所しスタッフが目の当たりにするのは、一人ひとり異なる生活の実態です。

リカバリーハウスのリビング

〇A さんのケース

 Aさん(関西出身)は、発達障害を抱える 30 代の女性です。違法薬物の使用で執行猶予判決を受け、支援者からの相談でリカバリーに繋がりました。入所してすぐ A さんの暮らしの中にはいくつものマイルールがあることがわかってきました。例えば、入浴にはいくつもの手順があり全ての手順を踏まなければいけないため、1 時間以上を要するということ。また、SNS 上でイベント情報が流れてくると手持ち金が少なくても行かなくては気が済まず、「せっかく北海道に来たのだから」と休日にはレンタカーを借りて紅葉を見に出掛けたりするので、財布の中は常に 10 円玉が数枚の状態となっています。また、夜中に煙草を吸いに行く足音がバタバタとうるさいため、スタッフが注意すると 5 分くらいは静かに歩くことができますが、何か一つ別の行動を挟むとすぐに自分の足音がうるさいことを忘れてしまい、またバタバタ音を立てて走るように歩きます。ですが、周囲は「A ちゃんだから仕方ないね」と何故か寛容になってしまう愛されキャラです。

〇B さんのケース

 Bさん(関東出身)は、発達障害と高校時代の性被害体験を抱える 20 代の女性です。お酒と市販薬を一緒に飲んでは救急搬送される日々を繰り返していたため、入院していた病院のソーシャルワーカーからの相談で入所に至りました。毎晩夜中になると「友達」との楽しそうな長電話が始まるため、どんな相手なのか聞くと、SNS で出会ったばかりの30 歳も年の離れた男性だといいます。B さんは、社会への適応が難しい自身の特性に自らネガティブなラベル付けをしてきました。一度はリカバリーハウスを退所し一人暮らしをしていましたが、そのうちに飲酒しなければ通所できないようになり、ついにはお酒と市販薬を OD(オーバードーズ)する事態となりました。仕切り直しのため再入所を提案されたとき、少し悩みましたが「自分一人ではもうどうにもできない」と再入所を決めました。今は、自助グループ(AA(アルコホーリクス・アノニマス)や NA(ナルコティクス・アノニマス)といった同じ問題や悩みを抱えた人たちが仲間と体験を共有したり分かち合う場所)に参加しています。

〇C さんのケース

 Cさん(東北出身)は 20 代の女性です。社会から見れば「普通」の人生を送ってきた彼女ですが、パワハラなど様々な抑圧経験から、あちこちの病院を受診して処方薬をもらい歩き、OD しては眠りっぱなしの生活を送ってきました。主治医から、一人暮らしは難しいのではといくつかの回復施設を紹介された中から自ら相談し入所に至りました。「親の敷いたレールを歩いてきた」ため、自分が何をしたいのかわからないという C さん。スマホをサクサク使いこなし、SNSやキャッシュレス決済などに詳しく、リカバリーの法人 SNS 運用の相談相手ですが、酔うとお金が無いのにキャッシュレス決済で大量のお酒やジャンクフード、咳止め薬を買ったり、SNS 上の友人とのトラブルを繰り返してしまいます。

※本コラムの事例については、本人が特定されないよう複数の事例を組み合わせて作成しています。

リカバリーハウスで提供される食事は、旬の野菜たっぷりで栄養バランスのとれたメニュー

これらは、暮らしのほんの一部です。どのように食事や休養を取り、どのように休みの日や夜の時間を過ごすかは実際に見てみなければわからないことだらけです。一方で、生活の様子を細かく見ていくことで、なぜ彼女たちがアルコールや薬物を必要としていたか垣間見える瞬間も多くあります。

 リカバリーハウスは、『嵐の中』を生き抜いたその後を過ごす場所。アディクションを手放そうとするときには、身体の痛みや抑うつ感が襲ってくるし、借金やかつて暮らしていた居室の片付けなどこれまで見ないようにしていた現実と向き合わなくてはいけないことが山積しています。まずは、安全な空間で栄養バランスのとれた食事をとり、しっかりと眠り、身体の不調があれば医療機関を受診し継続的な治療を始め、必要な手続きがあればスタッフが区役所や弁護士事務所などに同行し、複雑に絡み合った問題をシンプルにする手伝いをします。

 一つ屋根の下で他者と一定程度の期間を過ごすのは煩わしさもありますが、ドア一枚を隔てた先に誰かの気配を感じられることがちょうど良いと感じられる瞬間もあるようです。また、ほかの人と生活を共にする内、自らの課題(例えば、仲良くするために物をあげる、執拗に距離が近くなるなど)が露呈することも多いですが、それこそが良質な「快復*の土壌」となるのです。

 長く安全を感じられない場所で生き延びてきた彼女たちにとっては、反対にリカバリーハウスでの心地悪く感じられるときもあり、時折、派手な OD やリストカットなどで自らの安全を脅かそうとします。スタッフは応急処置で済むのか救急搬送が必要か、毎回判断に迫られ肝を冷やしますが、少し落ち着いたときに確認するのは毎回「何が起きていたのか」。彼女たちはとてつもなく大変な「嵐」をくぐり抜け、「嵐の後」を生き延びようとしているのです。

 彼女たちの暮らしからはいつも「アディクションを手放すか、手放さないか」ではなく、「この先の人生をどう生き延びていくか」を教えてもらっています。

年越し会の様子

*快復:決して消えないトラウマによる傷を抱えながら、より安全な依存先を増やしていく道のり。単純な「回復」とは異なる。